私が「やりたいことをやる」と決めてからのこと

2017年の10月に「やりたいことをやる」と決めて、約1年半が経ちました。
当時の記事↓
当時は、文章や絵を描きたいという想いに気付きながらも、なかなか行動に移すことができずにいました。
仕事で忙しいから、経験がないから、と後回しにし、最後は自分ではどうすることもできない大きな流れを感じ取り、あきらめにも近い気持ちで「やろう」という思いに至りました。
しかしながら、「やろう」決めても思うように作品は生まれませんでした。
理想ばかりがむくむくと膨らみ、日に日に焦りが募りました。
自分の内側に生まれたがっている「何か」の気配を察するのですが、それを外に取り出すすべがなかったのです。
文章や絵のクオリティーを高めるテクニックではなく、内側にある「何か」を取り出す方法が知りたい。
このことが、私が「創造性をひらくこと」について探求しようと思ったきっかけでした。
創造性はどこからやってくるのか
すでにあるものを集めて、思考を使って編集するのではなく、自分の内側から新たな「何か」を生み出すにはどうしたらよいのでしょうか。
ジュリア・キャメロンさんの著書『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』を読んだのは、2016年のころでした。
そのころ、私は会社の売り上げをつくることに必死で、本当にやりたいことを見失っていたのです。
やりたいことリストを書き出しても、10個も浮かびませんでした。
やっとの思いで書き出したやりたいことたちも、私の心をときめかせるまでには至りませんでした。
『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』の原題は『The Artist’s Way』。
アーティストの道だなんて、私には関係ないと思ったのですが、原題と邦題のどちらにも妙に強く惹かれて、読み始めることにしました。
この本では、「モーニング・ページ」というエクササイズによって、自分の心の声をアウトプットする方法が説明されています。
また、そのときにどんな葛藤が生まれてきて、それらとどう向き合っていくか、丁寧に綴られていて、私にとっては大きな励みとなりました。
内側に浮かんだことを、ジャッジせず、うまくまとめようとせず、ただ毎朝書き出すという作業を続ける中で、自分の内側にどんな思考や感情があるか、観察できるようになっていきました。
モーニング・ページを始めたころは、その日の仕事をいかに終わらせるかと、前日に無駄な時間を過ごしてしまったことの反省ばかり書いていましたが、徐々にほんの小さなやりたいことが浮かぶようになり、それに対して抵抗する声が存在することにも気づきました。
内側の声を聴き始めたころは、それがネガティブなものばかりで、げんなりしたりもしました。
それでも聴き続ける価値があると思うのは、そこに導きのメッセージが含まれると考えるからです。
内側の声に耳を傾け、さらに瞑想の中で自分の深い部分に問いかけることを続ける中で、導きのメッセージはより鮮明になってゆきました。
導きのメッセージは、いい気分や何かを「やりたい」と感じるなどの、直観としてやってきます。
さらに、悩みに対する答えも、即座に与えられるようになりました。
内側でのやり取りを、ソウルアートとして絵にすることも始めました。このころには、何を描こうかと考えあぐねることもなく、直観にゆだねて自然と手が動くようになっていました。内側で対話をし、絵を描いているとき、私の求めていた「創造性」につながる感覚がありました。
この直観の源泉は、すべての命の源、大宇宙の根源からやってくるのだと思います。
言い換えれば、創造主。
創造性をひらくとは、直観を通して創造の源とつながることだと理解しました。
心理学の言葉で言えば、顕在意識⇒潜在意識⇒集合的無意識⇒超意識、と意識を深く掘り下げることで、創造性の源泉を掘り当てることができるのだとわかりました。
1年半で何が変わったか
創造性の源泉とつながる感覚が強まる中で、世界の見え方、時間の捉え方、特にフォーカスの仕方が変わってゆきました。
「必要な情報であれば届けられる」という安心感があるのです。
頭で考えれば不安材料になることがあったとしても、「今は考える必要がない」こととして、フォーカスしない選択ができるのです。
そして、「なんとなく気になる」というささやかな直観を見逃さなくなりました。
予定を変えて遠出をしたり、高い買い物を決断したりすることにも、抵抗が小さくなってゆきました。
ですので、いつも「やりたいことをやっている」という感覚があります。
それから、「本当の自分」についての捉え方が変わりました。これまで「自己探求」だと思って取り組んできたことは、「自”我”探求」だったと気付きました。
超意識の視点では「すべてはひとつ」という感覚になり、これが「真の自己」となりますが、「自”我”探求」をしていた私は、「真の自己」のひとつの現れである「自我」がどんな個性を持っているかを探求していたのです。
「自”我”探求」も、今この瞬間の生をまっとうするために必要なプロセスではありますが、自我への執着は「真の自己」とのつながりに背を向けることにつながります。この分離感が、あらゆる苦しみを感じさせるのです。
今も苦しみを感じることはありますが、すべてである創造性の源泉に常に見守られている安心感とともにあります。
同時に、自分自身が創造性の源泉である感覚が、矛盾することなく重なっています。
未来、何をしているか
最近は、何を「したい」か考えるより、「○か月後には○○をしている」という情報が入れて、「それ、本当にやりたい?」と尋ねるようにしています。欠乏感からの望みが出にくくて、私に合っているようです。
それによると、、、
- 瞑想と内観を扱う、覚醒プログラムを分かち合っている
- 月に1回は大自然の中で過ごしている
- チームでプロジェクトを進めていくことが増えてくる
- 踊るのがかなり楽しい
- 嬉しくてニタニタしている
- 作品作りは絵や言葉などいろいろやっている
- ふわーっとしてるけど直観はどんどん鮮明に
- あっけらかんとずばずば物を言っている←
だそうです(笑)
これからはもっとずばずば(?)書いていきますね!
1年半で「やりたいことをやる」ことへのハードルがずいぶん下がったのは確かです。
私事ばかりの振り返り記事でしたが、何かヒントになりましたら幸いです!