「魂とつながるパースペクティブ」で相手を観る

「魂とつながるパースペクティブ」で相手を観る

相手を魂のままに観ているだろうか

「日常でどれだけ相手の人の『真の姿』を観れているだろう」って考えることがあります。

以前に『ソウルアート』を始めたとき、「ご依頼主の魂のメッセージをアートにする」、ということを同時にスタートしました。

そこでわかったのは、魂は例外なく固有の輝きがあり、それぞれの美しさがあるということです。

現実世界でどこまで体現しているかは差があるようですが、それでもこちらが意図すれば、魂そのものの美しさは必ず伝わってくるのです。

それは、日常生活を送るときのパースペクティブ(※)で理解できる、表面的な長所や短所とは違うレイヤーにあるように感じます。

※パースペクティブ…他にフィットする語彙が見つからず、「ある次元やレイヤーに立った時の《見方・見通し》」という意味合いで使っています。

相手を観ようとするときに起こること

「相手を魂のままに観る」と意図して瞑想すると、「日常のパースペクティブ」から、「魂とつながるパースペクティブ」に移行します。それは自然と起こるので、私は観察するだけのような感覚なのですが、そのときのことをもう少し言葉にしてみます。

「魂とつながるパースペクティブ」に移行するためには、自分の魂と相手の魂の、「共通の源泉」にたどり着く必要があります。

ですのではじめに、自分が今抱えている不要な感覚を手放していきます。相手の方に対して自分が肉体レベルで感じていることや、性別や肩書などの「思考によるラベル」も手放します。

「共通の源泉」に行きつくと、相手の方の世界観や自己像の情報が入ってきます。それらを感じていると、より深い魂のレイヤーにある、人生の目的、魂の役割、情熱の源泉などの情報も明らかになります。

場合によっては相手の方の潜在意識が、魂の光を封じるように働いていることがあります。しかし、強く封じようとしているということは、強い光があることの証明でもあります。封じる力がほどけることを意図していると、本来の光の性質が現れてきます。

今の時点でその光を体現しきっていないとしても、そのコントラストそのものに物語のような魅力が宿っています。

「魂とつながるパースペクティブ」では、相手の方の魂の美しさを体験することになります。力強さ、柔らかさ、純粋さ、あたたかさ、清々しさ……本当にそれぞれの、様々な美しさがあります。

そして、魂の表情は一様なものではなく、多面的で流動的なものだと感じます。そういった中から、ご依頼主の方と分かち合いたいエッセンスを、絵や言葉として受け取ります。

日常を「魂とつながるパースペクティブ」で生きる

相手を魂のままに観せていただくということは、私自身が満たされる体験でもあります。私の宇宙が癒されるプロセスなのだと思います。

今の私は「日常のパースペクティブ」と「魂とつながるパースペクティブ」を行き来するように生きていますが、日常を「魂とつながるパースペクティブ」のままで生きられたら……。

その立ち位置からは、「世界は美しい魂たちの精妙なダンス」に見えているのではないかと思ったりします。