本音と異物の境界

茶色の朝

フランク・パヴロフ著『茶色と朝』を読みました。

社会が極右主義で染められていく様子を、一般の人の日常生活の変化を通して描いた物語です。

自分にとって異物である考え方を押し付けられ、「仕方ない」と受け入れるうちに、いつしかその違和感さえなくなってしまう。そんな人の心の不気味さが、鮮明に表現されています。

自分は思ったままに行動している、と信じていても、実は自分の感性にさえも、異物が混じり込んでいるかもしれません。異物を飲み込んでしまった誰かの教育を、はいそうですか、と受け入れている可能性があります。

だとしたら、いったい何が自分の本音と言えるでしょうか。

答えはないと知りながら問い続けること以外に、今のところは落ち着く場所が見つかりません。

問い続けるためのヒントは「違和感に気付くこと」にありそうです。

これが正しい、と教えられても、直感で「どうもしっくりこないなぁ」と感じるもの。そういったものを見逃さずに考えることです。

直感を使うこと、考え続けること、それから自分の受けてきた教育の成り立ちについて知っておくことも価値があるはずです。

歴史や時事に疎かった私ですが、このたった15ページの物語を読んで、それらを自分ごと化するようになりました。
社会人として恥ずかしいから勉強するのではなく、自分にとって切っても切り離せないものだから、勉強していきたい。

短いけれど、示唆に富む本です。お読みになった方は、ぜひ感想をお聞かせください。

茶色の朝
フランク パヴロフ, ヴィンセント ギャロ, 藤本 一勇, 高橋 哲哉
大月書店